不協和音

ワイの読書記録

「統合失調症の一族」(「統合失調症のみかた、治療のすすめかた」を参照しながら)①

「ひょっとすると統合失調症に関して最も恐ろしいのは(中略)この疾患がひどく露骨に感情的なものになりうることかもしれない。症状は、何一つ抑え込んだりせず、何もかも増幅する。本人にとっては耳をつんざくような圧倒的なものであり、患者を愛する人にとってはぞっとするようなものであって、身近な人はみな理性的に処理することができない。家族にとって統合失調症は、何よりもまず、感覚的な経験であり、一家の土台が、病を抱えた家族の一員の方に向かって永久に傾いてしまったかのように感じられる。たとえ子供の一人が統合失調症になっただけでも、家族内のロジックにまつわるものがすべて変わってしまう。」

『P246家族療法

家族に伝えるべきことは多い。家族は患者に起きた不思議な現象につき当惑し、ショックを受けているものであり、精神障害への否定的なイメージに苦悩し、時にその重大性を否認して医学的でない解釈を試みようとし、自責的にもなる(中略)「親の悪い遺伝子が子に精神障害をもたらした」といった遺伝による影響は小さいことを伝えることは、親の心情を救うだろう。(中略)実際にはこの発症率は一般に比べると高いものの5~10%に過ぎず、そう高いわけではないことは、家族に安堵をもたらすはずだ。医学的な知識がなければ家族も自分なりに妄想に説得を試みたり叱ってみたり宗教活動に打ち込ませたり(中略)様々な努力をするだろう。(中略)実際、退院一年半後、対照群の再入院が35.7%(再発が64.3%)だったが、家族療法が行われた群の再入院は12.5%(再発が43.8%)であった(中略)家族療法は再発と再入院を減らすことに貢献するのだ。2年間の再発率が通常治療群では65%だったものが、家族1人に心理教育することで39%に減少し、家族複数人に心理教育することで23%に減少したといい(中略)複数の家族に家族教育をした方が、より大きな効果を得られる。』

『P230病名告知とアドヒアランス

病名告知

統合失調症と診断したことについて告知しておくことは必須である。古くは、統合失調症であることを伝えると悲観するのではないかと告知を躊躇したり、否定的な病名を告知することで、医師-患者関係を悪化させるのではないかと「神経過敏」「自律神神経失調症」などと実際とは異なる病名を伝えたり、「大切なのは病名ではなく状態だ」などと説明するばかりで病名告知を避けたりするのを見かけることもあった。そして、珍しくはなったが最近でもそのようにしている医師や、そのようにされてきた患者を見かけることがある。(一部略)統合失調症の告知状況についての多施設研究では、79.6%が告知されていたといい、告知するのが現代の常識である。』

 

「リンジーは(中略)主治医がきちんと診察してくれているかを確かめている。彼女は存命中の他の病んだ兄たちのためにも、同じことをする。」

統合失調症の患者の回想録により、妄信している患者の世界が露わになると「ひどく性的で、倒錯していて、かつ、強い刺激を起こさせるような」感覚を持っていることが分かる。これは、文字通り心が壊れてしまったのだろう、と強く思わずにはいられない。そして強い渇望状態と、神経の興奮が、衝動的な心の引き金となったとき、治療に繋がるような「転移」が起こらないのだと考えらえる。

フロイトユングの概念におけるリビドーの概念はさておくとして、遺伝的要因で補足する必要があるとしたときに、統合失調症が必ずしも性的倒錯によってもたらされるものではないということを示している。統合失調症は性的関心の喪失だけで説明することはできない。つまり、精神の病気は、性的関心を喪い、頭の中で形成された性に関する強い興味が、現実世界ではなく、妄想世界に向いているという、ある種のスティグマが働いているのではないのかと考えらえる。

「「あの人は誰にでも完璧を求めるのでした。」(中略)1950年代には、彼女のような母親に狙いを定めるようになっていった。アメリカの精神医学界でもとりわけ有力な思想家たちは全員、そうした女性に新しい専門用語を使っていた。」

統合失調症誘発性という言葉は、母親こそ統合失調症の一族たる理由として暗に示している。また、精神科病院が、患者に「適切な治療を施す」ということを建前として、様々な実験が行われている。環境的要因を母親に求めつつ、統合失調症の生物学的原因を優生学思想につなげ、それが精神病患者に不妊手術を勧め、やがてそれは日本に「輸入」されていったのだろう。そして、母親が、環境的要因を担っていると強調することで、ある種読者に「自分の母親にはそのようなところがないから、自分が精神疾患になることはない」という安心感を与えるために機能している。

つまりは、すべて母親のせいにされるから、「自分の子供にどこかおかしなところがあるようなら、医師には絶対告げてはならない」という心理的孤立状態に陥る。

一方でこの一族における、父親の役割はやや「権威ある父親」の姿とはかけ離れている。兄弟にとって適切であると思われる本を提示し、「調和」を旨とした。そのため、ネグレクトを示唆するような、描写というより、「自由にさせている」という印象を抱く。