眼の誕生 アンドリュー・パーカー / 渡辺政隆 今西康子 訳
生物の分類法
生物は上から
界、門、亜門、綱、目、亜目、科、属、種、というように階層的に分類がなされている。
収斂現象ならびに種の分類について
収斂現象とは異なる動物門のあいだで対応する器官がよく似た基本構造から独立して進化し、同じ機能を持つようになる現象をいう(一部省略)ある動物門がどの動物門に分類されるかは外部形態ではなく体内の体制で決まる
実際、動物の分類の決め手となるのは内部体制である。なぜ生物を外部形態で分類しないのかは以下の理由がある。
まず、外部形態とは体の外装の素材、色、形状のことを示している。それらは内部体制にくらべ生息環境と密接な関係を持っている。そうした環境要因としては温度・光などの物理的要因、同じ環境に生息する他の生物などの生物的要因とがある。
動物の外部形態は特に、その種に特異的な生息環境に適応していなければならないが、体内の体制によって大まかな制約を受けている。また、外部形態の形成を支配する遺伝子は体内の体制を支配する遺伝子よりも少ないうえ、そうした少数の遺伝子が、種の違いを超えて同じ構造の形成を指令するコードを突然変異によって獲得する確率は存外に大きい、というのが理由である。
外部形態の突然変異は保持され、蓄積され得る(個々の中間段階も全て、その持ち主にとって何らかの利益をもたらす場合にのみ保持され、蓄積される)のに対し、内部体制の変更が中間段階を経るということはありえない。
体内の体制を段階的に構築することはできないため、体内の体制の収斂進化は起きない。
したがって異なる種の違いを明確に見極めることができるのである。
淘汰圧について
動物の多様性は永続的な分岐プロセスである進化の結果である。
物理的環境・生物的環境は絶えず変化しているため、したがって生物種も、最適に近いデザインを維持するために絶えず変化している。
つまり、環境の変化はそこに生息する動物に変化を強いる圧力だとも言えるのである。この圧力を淘汰圧という。
生物は動物門の枠内で新しい種を生み出していく。
生命の進化の歴史
39億年前~30億年ほど前
原始のブラックスモーカーから噴出した不安定な化学物質の混合物が海水と反応し、やがて生体を構築するもととなったアミノ酸その他の有機分子の無機的な構造体を生みだすに至った、これが原初の生命と呼ばれている
やがて、太陽光のエネルギーから硫化水素を水素の供給源として有機物を得る光合成細菌が登場することとなった
また、水を水素の供給源とするシアノバクテリアが登場した。
シアノバクテリアによって排出された酸素が地球全体を覆い動物組織にとって有害な紫外線を遮るオゾン層の形成に至る。
12億年前
酸素の供給により高度な構造をもった生物の生息が可能となり細胞核をもった生物が誕生した。(原生生物の出現)
それはやがて細胞集合体を形成することとなる。
10億年前
コロニ―を形成する細胞間に分業が成立するようになった(海綿動物の出現)
そして
三種類の主要な組織層を持つ体制の出現(扁形動物の出現)
三種類の組織層を持ちさらに開放血管系を備えた体制の出現
三種類の組織層のほかに血管、消化管が収められた体腔を持つ体制の出現
へと続いていく
また10億年前から6億6000万年前までには各動物門の内部体制がすべて出そろったとされている。
6億年~5億年ほど前(重複を避けるため、ここでは簡略に述べておく)
眼をもった生物の出現
現生する全ての動物門が、体を覆う硬い殻を突如として獲得した
動物門について
現存しない動物門を含め38種類存在する。
しかし5億4400万年前の時点では外部形態の特徴からすると(これは個々の動物門の外部形態は、異なる動物門のメンバーによく似た形態が現れることもあるがそれぞれ特有の変異幅に収まっているからである。特に古生生物では化石から内部体制を読み取ることは困難なことなので為された特別措置ではないかと私は考えている)3つの動物門しか存在していなかった。
ダーウィンの時代以降、進化理論には大変革が起こった。
これまでは過去5億4400万年間に動物門の数は3つから38へと少しずつ増加してきたという考えが主流であった。
しかし、今では生命の歴史は長期に渡る漸進的な進化ないし完全な足踏み状態の期間が大半を占めていて、そしてそうした停滞期は突如として起こる「大進化」によって断続的に破られてきたという「断続平衡説」が新たに唱えられるようになってきた。
捕食者の目・被食者の目
一般的に生態系の頂点に位置する捕食者の目は立体視ができるように眼は顔の頭部前面にあるのに対し、生態系の下位に位置する被食者の目は視野を広くするために頭部側面にある。
また、水中ではさらに水平方向だけでなく、上方・下方にも注意を払わなくてはならないので食物連鎖の真ん中あたりに位置する甲殻類は柄の先に眼をつけることで体を動かすことなくあたりを見渡すことができる。
このように、眼の位置関係が分かればある程度はその古生生物が生態系でどのような位置を占めていたのか推測可能である
光スイッチ説
視覚が刺激となって生物の外部形態の大幅な変化が促されたいという説
視覚を持たなかったカンブリア紀以前の生物にとっては光が動物の行動システムに影響を及ぼす重要な刺激とはならなかったため生物の進化は漸進的に起こっていったと作者は推測している。
また、作者はカンブリア紀の爆発を適応までの混乱という言葉で示している。
感想など
歴史的瞬間を目の当たりにすることが出来るのはそれが「今」起こっていることだからである。化石によって明かされるのは断続的な事実であるということを忘れてはいけない。進化というものが漸進的な変化であるにせよ突発的な変化であるにせよ進化が「いつ」「どこで」「どのように」起こったかを精密に推定することはもはや不可能なのではないのかと思っている。たとえどれだけ有益な化石標本が集まろうともである。
(およそ○○億年前~○○億年前という表現を使わざるを得ないという意味において)科学技術の発達によって古代の生物がその時どのような形態をしていて、またどのような生活様式をもっていたかがかなり信頼のおけるレベルにまでなってきたのは驚嘆すべき事実であるとは思っている。しかし忘れてはいけないことがある。それは化石が生物のありのままの姿ではないということである。
作者が述べていたように化石で保存されるのはあくまでも物理的構造であり、ある程度の年月が経ってしまえばDNAが保存されている可能性はまずないと言っていいように思える。また、作者はDNAが何百万年以上も破壊されずにいることはない。
これが、現在の統一見解である。と述べていながらも ゲノムに命を吹き込む方法、ティラノサウルス・レックスをよみがえらせる方法がないわけでもない。とも記している。しかし、具体的な言及を避けていることからもかなり眉唾ものに近いのではないのかと私は勝手に推測している。化石にとって重要なのはDNAなどの遺伝情報ではなく物理的な情報がどのくらい詳細に残されているかということなのであるとも作者は述べていた。また、私はジュラシックパークのように恐竜が現代に復活するという時代が到来するのを待ちわびている一方で実際復活した姿を目の当たりにすると興ざめしてしまうような気がしている。それはトカゲやワニにかっこ良さを見出せないことに原因があるかもしれないが、とにかくそう思ってしまうのである。
本の中の光がもつ力を、あらゆる現生生物の行動や進化と結びつけているのは眼である。眼が存在するからこそ、光がありとあらゆる動物にとっての刺激となっているのだ
について思ったことはたくさんあって、生物が生存競争を勝ち抜くにはまさに個々の生物の開発競争というか、とにかく他より秀でたものを備えたものが生き残るというルールのもと進化は起こり続けていたのであり、他の生物が影響を与え合ったからこそのものであると思っている。
あと、進化学はその特性上非常に個人の宗教観に左右されることもあり、ある種危険な学問というかむしろ宗教そのものではないのかと思ってしまうこともあって魅力的ではあるけれども手が出せない学問というイメージがある。
「卵が先か鶏が先か」という永遠に解決しそうにない問題について延々と調べていかなくてはならず、本当に進化学を専攻している学者には忍耐力の強さというか思いの強さという面で頭の下がる思いである。ある種ロマンチストとも言えるかもしれない。どうしても進化学は「趣味の学問」であるという印象を拭い去ることができないでいる。
三葉虫という生物は特定の形態をもったある一つの生物の名前だと思っていたが、実はそうではないことをはじめて知った為、本の中に硬い外骨格を持ち始めた三葉虫や最も初期の三葉虫という言葉が出てきて非常に混乱した。
また、自然界に回折格子を持つ生物が存在するということに非常に驚いた。
ただ、本の挿絵の中に回折格子を持つ古代生物の体色が再現されている絵があり、それを見たが、あまりにも鮮やか過ぎて確かに化石から回折格子を持っていたことは明らかなのであるのだけれども、その鮮やかな色では外敵から身を守ることもままならなくなるのでその鮮やかな色を持った古生生物たちの絵は限りなく真実を表している。と自信を持って言えるものでもないと思っている。
(筆者も物理的な構造から体色を再現することは出来ても、貝類のように、表面を目立たない色の外膜で覆われていた可能性は否定できないと述べている)
ただ、私が古生生物に対して思っていた
何の複雑な構造も持たない鈍重な生物群というイメージは払拭された